今回のジオラマ授業の舞台は仙台市中心部にある「木町通小学校」明治6年開校150年の歴史ある小学校です。
小学校の名前ともなっている木町通は「材木町」に続く通り、という意味でついた名前。小学校のすぐ目の前の交差点が起点ともなっている「晩翠通(愛称)」の横にある小学校という方がピンとくる方も多いかもしれませんが、木町通小学校は「荒城の月」の作詞家としても知られる土井晩翠氏の母校でもあります。
旧街道(作並街道)沿いの古くからの街並みから商業ビルや高層マンションが立ち並ぶ中心部に交わる地域にある小学校。学区は広くはありませんが仙台市の歴史がぎゅっと詰まった場所です。
伊達政宗は城を築いた青葉山の対岸にある「河岸段丘」に仙臺の城下町を作りました。今回のジオラマでは学区を右下(東南)に収め、学区よりも広範囲で自分たちの街と地形が見られるジオラマとなり、河岸段丘が北西から広がる様子がきれいに見えるジオラマとなりました。
当時は舟運が盛んな時代でしたが、あえて高台となる段丘に城下町を作ったのには、自然災害(津波や洪水)から街を守る為であったという説もある様です。伊達政宗はこの地形を利用して街路を作り、木町小学校の北西部にある広瀬川上流から用水路を作ったと言われています。
今回の木町通小学校の授業スライドには戦前の古い地図も登場。
今との「違い」として、戦火の大空襲に遭う前の学校の場所は現在のグラウンドの場所だったことや、北西に広がる国見ケ丘(現在は住宅地)が山だったり、昔は標高の低い広瀬川の近くには家が無かったり、今も「変わらない」こととして、中心部の街路の形や、北西部の堰(池)の存在への気づきは、都会的な街にも多くの歴史があることがわかる、平面の地図と立体の地図を両方見比べ体験できるからこそ深まる学びと感じました。
今回のジオラマは段ボール1段が10m。広瀬川沿いが崖となって切り立っているのが特徴的。こんな風にジオラマに立体感が現れてくる瞬間は、子どもたちが一番熱中する時間。どのグループも目をキラキラしながらキューっと寄り合う姿が見られます。
間近でジオラマを組み上げた後は、4つに分かれたジオラマを1つにする時間。
「おぉー!」と自然に拍手が起き、自分たちの住んでいる街がどんな場所なのか、じっくりと観察していきます。「自分の家はどこかな?」「自然災害の危険はどこにあるかな?」ジオラマの中に、自分たちが毎日見ている風景を重ねていきます。
合間に休み時間を取りますが、ジオラマの周りから人が居なくなることはありません。
↑まるで授業が続いているみたいですが、休み時間です!
まさに今、自分自身、友だち同士で自分が感じた何かを「探求」しているところですね!
後半はこれを「防災・減災」の視点で「探究」していきます。
木町通小学校の皆さんは自分の考えを言葉にすること(発表)がとても上手な皆さんでした。
また、発表をしていなくても、しっかりと聞く姿があり、自分が体験したことと、その体験を深める為に他の人の気づきに心を寄せる意識を感じる時間となりました。
折角なので、発表したい!という全員の意見をたっぷりと時間をかけて聞き、その後、防災の知識を気づきと結びつけていきました。
自分たちの暮らしを守るために仙台市が作っているハザードマップへの知識を深め、自分たちが暮らしている毎日の風景の中に「もしも」を想像してみる。
学校の中や、家の中、街の中の危険はどこにあるのか、安全はどうやって作られるか。それは一人ひとり違っています。だからこそ「君たちはどうする?」「私たちはどうしよう?」が大切なのかもしれません。
段ボールのジオラマは防災教室だけではなく、様々な学校の授業に寄り添えるもの。他の教科で体験し、見聞きする度に、防災・減災の様々な問いを思い出させてくれるかもしれません。
そんな活動のパートナーになってくれそうな学校支援地域本部に関わる皆さんが、今回は授業を見学に来てくださいました!学校全体で、地域で、この段ボールジオラマが活躍してくれることを楽しみにしています!
「もしも」を幾度となく越えて出来た「河岸段丘」の上に住み、自分たちが見ている「いつも」の当たり前は、伊達政宗が作った仙臺から、防災環境都市仙台のまちづくりに繋がっています。
そこに暮らす人々が沢山の視点で繋がり、歴史を作り、その新しい1ページを自分たちは綴り続けている。木町通小学校5年生の皆さんに150年の歴史が繋がったように、誰かの未来に繋がる自分のいのちと暮らしを、この地形を知ることから感じて貰えたら嬉しいなと思う防災授業となりました。